歌手、俳優、実業家、レーサー、レーシングチーム監督として活躍する近藤真彦さん!
近藤真彦さんは、プライベートでは1994年に一般人女性の和田敦子さんと結婚されています。
そんな奥様との馴れ初めが気になりますよね!
今回の記事では、
- 近藤真彦と嫁の馴れ初めは?
- 近藤真彦の結婚を後押しした大物芸能人とは誰?
についてまとめていきますので、読んでみてください。
近藤真彦と嫁の馴れ初めは?
マッチと嫁である和田敦子さんの馴れ初めを見ていきましょう!
マッチは、1994年6月に一般人である和田敦子さんと結婚しました。
当時マッチは30歳で、敦子さんは28歳でした。
お二人の出会いは、料理研究家である井上絵美さんの旦那様から紹介されたことがきっかけということです。
マッチは、井上絵美さんの父親である井上梅次さんと1つの映画を作り上げた仲間でした。
井上梅次さんといえば、日本を代表する映画監督、脚本家、作詞家です。
井上梅次さんが手がけた1983年8月4日公開映画『嵐を呼ぶ男』で、主演を務めたのがマッチです。
一緒に1つの作品を作り上げたという縁もあり、個人的にお付き合いがあったことで紹介に繋がったのではないかと思います。
近藤真彦の結婚を後押しした大物芸能人とは誰?
結婚を後押しした大物芸能人
1980年代を代表する男性アイドルとして人気絶頂だった近藤真彦さん。
和田敦子さんとの交際も順調に続き、結婚まで後一歩というところで和田敦子さんの両親に猛反対されてしまったそうです。
ちなみに敦子さんの実家は、福岡でタクシー会社を運営している資産家なんだそう。
和田敦子さんのご両親に反対された時に親身になって相談に乗ってくれたり、後押ししてくれた大物芸能人が2人いました。
伊集院静
1人目に結婚を後押ししてくれた人物は、代表曲「ギンギラギンにさりげなく」(1981年)の作詞を手掛けてもらってから親交を深めていた作家・伊集院静さんでした。
近藤真彦さんが
そろそろ(結婚を)と思っているんですが…
と結婚について話題にしたところ、
いいじゃないですか。(結婚)しなさい
と言ってくれたそう。
この言葉を言ってもらったことで
よし、結婚しよう
と決意が固まったんだそうです。
ヤンチャといわれていた近藤真彦さんが、伊集院さんには全幅の信頼を寄せていたことが分かりますね!
さらに、和田敦子さんの両親に反対されて相談した時に、
近藤くん、叩き続けなければ開かない扉はありませんよ
と励まされたことで、粘り強く説得を続けることが出来たといいます。
黒柳徹子
2人目に結婚を後押ししてくれた人物は、黒柳徹子さんでした。
近藤真彦さんが「芸能界の母」と慕っている黒柳徹子さん!
お相手のご両親に結婚を反対されていることを聞いた黒柳徹子さんのとった行動を、近藤真彦さんご本人がインタビューで語っています。
(妻の両親に)結婚を反対されたとき、黒柳さんが『わかったわ。私はあなたのいいところを、よーく知っているから』と妻の両親に手紙を書いてくれました。
“あなたたちの思っているような子ではありません”みたいな内容で。
それで向こうの両親に許してもらえた。
あの手紙も大切に持っています。
引用元:ジャニーズ研究会
当時から黒柳徹子さんは近藤真彦さんを息子のように可愛がっていた為、何とかしてあげたいとこのような行動を取ってくれたと言われています。
こうして大物芸能人2人からの後押しがあってか、近藤真彦さんと和田敦子さんは無事に結婚を認めてもらうことが出来ました。
さいごに
近藤真彦さんと嫁である敦子さんとの馴れ初め、結婚を後押しした大物芸能人をまとめてみました。
2人は井上絵美さんの旦那の紹介で知り合い、伊集院静さんと黒柳徹子さんの後押しもあって無事に結婚できたようですね。
最近では、テレビで見ることもなくなりましたが、ドラマ『不適切にもほどがある」の影響でマッチの話題が上がったりしましたね!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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