数々の映画やドラマなどに出演され、演技力も高く優しい雰囲気で魅力的な西島秀俊さんですね!
そんな西島さんですが、若い頃に干されていた時期があるといいます。
一体、どんな理由があったのか、調べてみましたので見ていきましょう!
西島秀俊の若い頃
西島秀俊さんは、1992年に横浜国立大在学中にテレビドラマ「はぐれ刑事純情派Ⅴ」で芸能界デビューしています。
連続ドラマ『木曜日の食卓』『お願い!ダーリン』『悪魔のKISS』に続けて出演していました。
なかでもブレイクポイントになったのは、1993年に放送された『あすなろ白書』でした。
このドラマは、「俺じゃダメか?」の台詞で木村拓哉さんが一躍脚光を浴びた作品でしたが、西島さんもまた同性愛者であることに悩むナイーブな青年役を演じ、若手俳優として人気が高まりました。
西島秀俊が干された理由とは?
西島秀俊さんが干された理由を見ていきましょう!
テレビドラマに出演し順風満帆な西島さんでしたが、実は干されていた時期がありました。
西島さんは、1998年から2002年までの期間は民放のテレビに出演していませんでした。
その理由は、アイドルとして売ろうとする当時の所属事務所である渡辺プロダクションと対立し、結果としてナベプロを退社したことです。
その時の心境を、ご本人が『西島秀俊―新世紀のスピリチュアル・アクターズシリーズ』で語っています。
当時の西島さんは、映画とテレビの俳優はまったく別で、はっきり分かれているように見えたそうです。
「実は僕、この仕事を始めてから、俳優をやめようかなと思った時期があって……。
すでにテレビの仕事は順調に入ってきてたんですけど、映画には出れなくて。
このままだときっと映画には出れないんだって思い込んでしまったんです。
『あすなろ白書』という連ドラをやった直後に『ちょっと考えたいので、一回やめます』と言って、最初の事務所をやめているんです。
当時の僕には映画とテレビの俳優はまったく別で、はっきり分かれているように見えたんです」
引用元:https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_661/
映画の俳優としての目標があったので、アイドル路線としての売り込みがどうしても納得できなかったようです。
ナベプロを退社する時、「民放ドラマ5年間出演禁止」という条件をのまされたといいます。
ですが、西島さんにとってこの”干され期間”は充実した日々だったといいます。
日々 映画館に通いつめ、食事をとる時間も惜しんでおにぎりを食べながら、映画館のハシゴをして映画を見たそうです。
その期間に見た映画は年間300本以上にもなり、現在の西島さんの演技力の高さや俳優としての深みに繋がっているのかもしれません。
西島秀俊の事務所移籍後
ナベプロ退社後、1999年公開の黒沢清監督『ニンゲン合格』で、第9回日本映画プロフェッショナル大賞で主演男優賞に輝いています。
西島さんはこの作品を「自分にとっての革命の始まり」と話しています。
そして、西島さんにとって大きな転機となったのは、2002年公開の『Dolls』だといいます。
大ファンだったという北野武の監督作品で、西島さんは映画俳優として高い評価を獲得しています。
さらに、北野武さんが西島さんを主演に選んだことで、テレビへの出演も「解禁」となったのだといいます。
西島さんは、日本だけではなく海外の映画監督からも高い評価を得ており、2023年春にハリウッドの大手タレントエージェンシーと契約しています。
今後の西島さんの活躍に期待したいですね!
さいごに
西島秀俊さんが若い頃に干された理由をまとめました。
物腰の柔らかい優しいイメージの西島秀俊さんですが、自分の信念をしっかり持った芯の強い俳優さんでしたね。
更なる今後の活躍を応援したいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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